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水戸地方裁判所土浦支部 昭和54年(わ)126号 判決 1981年3月31日

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中三五〇日を右刑に算入する。

押収してある散弾銃一丁(昭和五四年押第三二号の九)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴、犯行に至る経緯等)

被告人は、農業を営む父寅吉、亡母はないの長男として本籍地で出生し、地元の尋常高等小学校を卒業し、二二歳のとき古谷よし子と結婚して昭和二五年二月には長男民一が生まれたが、よし子は同年七月下旬病いにより死亡した。その後被告人は妻帯しなかつたが、実母、祖母、実父が順次病いをえて遠縁の高橋はついが被告人方に通うようになり、遂には同居してその看病に当るようになつたことから、被告人と高橋はついとは昭和五〇年ころから内縁の夫婦関係を結ぶに至つた。

ところで、被告人は、学業を終えた後、農業に従事するかたわら、農閑期には東京都内の土木関係の会社で土木作業員をしていたこともあり、昭和四六年六月ころから守谷町外一市一村土地改良区の谷和原村選出の理事となり、又昭和五四年一月ころからは松村東亜共同企業体の下請をしていたヒタチ緑化の排水路工事の現場監督もしていた。

被告人方では、以前から民一が自宅新築を希望していたが、被告人は、新築資金を全部調達する見込みが立たず、新築に金を費消してしまうと病弱な自己及び父と内妻の将来の生活設計が立たないことから、自宅新築には消極的であつた。しかし、民一が結婚適令期にあり、嫁を迎えるために新築することを強く望んだことから、被告人もようやく昭和五三年八月末ころには新築を決意し、同年一一月三日、遠縁の小菅勝好が社員となつている坂巻兄弟建設株式会社(代表取締役坂巻勝一)との間で、建坪四一坪の家屋を代金一〇八〇万円で新築し、代金の支払については契約時に二〇万円、同年一二月二〇日に六〇万円、上棟時に五〇〇万円、建物完成引渡時に五〇〇万円を支払うことを内容とする契約を締結した。

しかるに被告人は、右約定の一二月二〇日分の六〇万円を支払うことができず、昭和五四年一月一六日まで支払を延期させたが、右同日にも六〇万円を支払うことができず、更に同年二月二〇日まで支払の延期をえたが、右同日にも資金調達ができず、六〇万円を支払うことはできなかつた。ところが、その後の同月二四日夕刻、被告人は小菅勝好に電話連絡をして、支払を延期してきた六〇万円と上棟時に支払う約束の五〇〇万円等を合わせて六〇〇万円とし、これを上棟式の行なわれる同月二六日午前一〇時ころ支払う旨約束した。

しかし、被告人は、親戚に資金援助を依頼したこともなく、又金融機関に具体的な融資申込も全くしなかつたため、右約束した新築代金の支払に窮し、遂に他よりこれを不法に入手しようと決意し、前記のとおり被告人自身が理事をしている土地改良区の理事長であり、元守谷町長もしていた吉田亀次郎に目をつけ、同人宅には土地改良区の会合がある都度、同人を車で送り迎えするためしばしば訪れていて、同人が守谷町近辺では有数の資産家であること、同人には老令の妻がいること等同人宅の様子を知つており、又同人が同月二六日から二泊三日で伊豆大島方面へ土地改良区の研修旅行に出かけることを承知していたことから、同人の留守中にその妻吉田たけ(当時七〇年)を拐取し、同女の安否を憂慮する右吉田亀次郎らの近親者から、その憂慮に乗じて財物を交付させようと企て、上棟式のある同日午前一〇時三〇分ころ、自己所有の軽四輪貨物自動車スズキキヤリイ(茨四〇い五五―八〇号)を運転して自宅を出て取手駅前まで行き、電車で松戸に赴き松戸競輪場等で遊んだ後、午後六時ころ取手駅に戻り、その後本件犯行に及んだ。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和五四年二月二六日午後七時ころ、前示の如き目的をもつて、被告人所有の前記スズキキヤリイを運転して茨城県北相馬郡守谷町大字守谷甲三三〇四番地所在の吉田亀次郎方居宅に赴き、その裏手に同車を駐車させたうえ、車内に積んでおいた散弾銃(昭和五四年押第三二号の九)を携帯して、同人方居宅東側の裏木戸から敷地内に入り、同居宅東側の庭先において、夕食後の食器を洗つていた前記吉田たけに対し、右散弾銃を示して脅迫しながら、「組合の者だが、組合長のおつかさんですね。」と申し向けて同女の右腕を取つて前記裏木戸から連れ出し、同居宅裏側に停車させていた右スズキキヤリイの助手席に同女を乗車させ、これを運転して同所から連れ去り、同県筑波郡谷和原村大字筒戸田見谷七四一番地所在の鈴木伝男所有の陸田用揚水機小屋まで拉致し、もつて、同女の安否を憂慮する吉田亀次郎らの近親者から、その憂慮に乗じ財物を交付させる目的で同女を拐取し、

第二  前同日午後七時三〇分ころ、予めわらを敷いておいた右揚水機小屋内において、同女の両手をビニールひも(前同号の七)で縛り、同女に対し、「明日の朝ご飯を持つて来る。今夜一晩ここで泊つて行け。」と言いおき、右小屋の扉の輪鍵を外部から施して、同女を右小屋内に閉じ込め、もつて、そのころから同月二七日早朝ころまでの間同女を右小屋から脱出不能の状態におき、不法に同女を監禁し、

第三  同月二六日午後七時五〇分ころから午後八時二〇分ころまでの間三回にわたり、吉田亀次郎が前記のとおり留守中の同人方へ電話をかけ、同人の長男実の妻恵美子(当時四四年)に対し、「お宅のおばあちやんを預つているから一〇〇〇万円用意しろ。」、「おばあちやんいたか。」、「おばあちやん捜したか。」等と申し向け、身代金を要求し、更に同県北相馬郡守谷町大字立沢一九三二の一所在の丸井化工工事現場地内に前記スズキキヤリイを乗入れ、車中で一泊したのちの翌二七日午前六時三〇分ころ、右吉田亀次郎と昵懇の間柄で遠縁の同町大字守谷甲六一九番地菅谷朝一方に電話をかけ、同人の長女菅谷冨士江(当時四七年)に対し、「吉田さんのおばあちやんを預つている者だが、向うへ電話をしたところ何のかかわりもないからといわれた。一〇〇〇万円用意しろ。」「水海道方面へ向つて松村東亜土木会社の看板がある。その近くに小さいトタンの小屋があるから、そこに持つて来い。」「午前一〇時半までに。」「この事を警察に知らせるとおばあちやんの命がないから。この事は二度といわない。」等と申し向け、右菅谷冨士江を介して吉田たけの近親者に対し身代金を要求し、もつて、被拐取者の安否を憂慮する近親者の憂慮に乗じ、その財物の交付を要求する行為をし

たものである。

(犯行後の状況)

被告人は、右菅谷方への電話を終えた後、同日午前九時半ころ、同県筑波郡谷和原村大字筒戸諏訪三三三五番地所在のヒタチ緑化の排水工事現場に赴き、現場の作業に口を出したりしながら、約一五〇メートル離れた同所一四六七の一所在の身代金持参を指定した小屋の方を見張つていたところ、やがて吉田たけの長男吉田実が現金五〇〇万円を右小屋に置いたが、これを取りに行かないまま同日午前一一時一六分ころ、右小屋との距離約一三〇メートルの前同村大字筒戸一四九三番地の一所在の松村東亜共同企業体事務所二階の土工班の机上の電話を無断で使用して菅谷朝一宅に電話をかけ、同人に対し、「車は来た様だが持つて来ねえ。」等と申し向けた後、右現場から立去つた。

被告人は、その後も自宅に戻らず、同日午後八時ころ民一に電話して、取手競輪場駐車場まで着替えを持参させ、同日から三月四日まで、上野駅周辺の旅館や松戸市内の妹宅などを泊まり歩き、その間、三月一、二日には土浦市内の弁護士を訪ねたが会えず、三月三日午後四時ころ、筑波学園都市内の工事現場にいた鳴毛〓〓(以下、「鳴毛たか」と表示する。)に会い、同女に対し、「二月二六日午後七時半ころから午後八時一五分ころまで鳴毛たか宅裏手の小貝川堤防の所で会つていたことにしてくれ。」と依頼してアリバイ工作をしたりしたが、同月四日午後四時三〇分ころ、谷田部警察署において逮捕状を執行された。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人及び被告人の主張に対する判断)

一  弁護人及び被告人の主張の大要

弁護人及び被告人は、本件公訴事実は被告人の犯行ではないと全面的に否認しており、起訴状記載の拐取及び身代金要求時刻ころである昭和五四年二月二六日午後七時ころから午後八時過ぎころまでの間は、被告人は谷和原村大字平沼二五七番地の鳴毛たか宅裏手の小貝川堤防上に車を止めて同女と会つていたと主張し、さらに、被告人が本件犯行を自供したとされる司法警察員に対する昭和五四年三月一八日付供述調書(一二枚綴りのもの)は、任意性、信用性がないし、又自白とは評価できないと主張する(なお弁護人は、右供述調書の取調べに一旦同意したが、後右同意の撤回を申し立てた。)。

しかしながら、当裁判所は、次に詳述するように、被害者吉田たけが被告人が犯人であると特定していること、その他三ないし六記載の間接事実の存在すること、被告人の右供述調書が任意になされ且つ信用できると認められること等の理由により、本件は被告人の犯行であると認定するものである。よつて、以下、これらの点について順次説明及び検討を加えることとする。

なお、以下においては証拠等につき左記の様に略記をする。

一  吉田たけの第三回公判供述――第三回公判調書中の証人吉田たけの供述部分

一  吉田恵美子の54・3・14検面(又は員面)――吉田恵美子の検察官(又は司法警察員)に対する昭和五四年三月一四日

一  (石崎誠の)54・3・11実況見分調書――司法警察員(石崎誠)作成の昭和五四年三月一一日付実況見分調書

一  二月二六日――すべて昭和五四年二月二六日を意味する。

二  被害者吉田たけが被告人を犯人であると特定していること

1  吉田たけのなした特定

(一) 公判廷における特定

前掲吉田たけの第三、四回公判供述によれば、吉田たけは、第三回公判廷において、「二月二六日の夕方に鉄砲を持つた人に自宅から車で連れ出されて田圃の小屋の中に一晩閉じ込められたことは覚えている。」旨供述し、検察官の「この法廷で証人を連れ出した人がいれば分かるか。」「よく見てどの人か指示して下さい。」という問いに対して、被告人席の被告人を指示し、自分を連れ出した人に間違いないと言明しており、又第四回公判廷においても、裁判官の「その日見た犯人とここに座つている被告人とは同じ人か。」という問いに対し、「同じです。」、「間違いありません。」と供述している。

(二) 警察署での面通し

前掲吉田たけの第三、四回公判供述及び54・3・14検面(二通)並びに吉田恵美子の第三、四回公判供述、石崎誠及び山内不二男の第五回公判各供述、前掲カセツトテープ(同号の六)によれば、吉田たけは、昭和五四年三月一一日取手警察署において、第五調室から第四調室を覗いて、座つている被告人の顔や体を見たときに、二月二六日の晩に鉄砲を持つて自宅の洗い場の所から同女を連れ出した者だということがすぐに分り、即座に「この人だわねえ。」と言い、吉田恵美子が「本当、間違いない?」と聞いたところ、はつきりと「間違いないな。」と言つていること、又同月一三日に取手警察署で第五調室からガラス越しに第四調室の六人の男を覗いて、その男達の左から三番目にいた被告人に見覚えがあり、同女を自宅から連れ出し、車で小屋まで運転して小屋に一晩閉じ込めた人であること、被告人は体の格好や顔付き等同女を連れ出した人にそつくりであること、左側から三番目の被告人以外には見覚えのある者はいないことが分り、「左から三番目の人です。」と言い、続いて一人一人が順番に部屋に入つて来たが、三番目に被告人が入つて来たときには「この人だわねえ。」と言い、他の者が入つて来たときは「違う。」と言つたことが認められる。

(三) 写真による特定

(1) 前掲吉田たけの第三回公判供述によれば、吉田たけは、第三回公判廷において、被告人を含む八枚の顔写真(同号の五の一ないし八)を示され、その中から被告人の顔写真(同号の五の八)を抜き出して、この写真の男に自分が連れ出されたものであると供述している。

(2) 前掲吉田たけの第三回公判供述、54・3・30検面及び54・3・26員面抄本、吉田恵美子の第三、四回公判供述並びに被告人の顔写真(同号の一)によれば、昭和五四年三月二日午前八時ころ、読売新聞記者が被告人の顔写真(同号の一)を携えて吉田たけ宅を訪問したので、吉田恵美子が右写真をたけに見せたところ、たけは「この人だつたねえ。」と即座に断言し、同月三日午前八時半ころ、いはらき新聞記者の持参した被告人所有のスズキキヤリイの写真を恵美子がたけに示したところ、たけは「この車です。」と述べたことが認められる(但し、恵美子は、被告人を犯人であるとした報道が未だなされていない段階で、知り合いの被告人をたけが犯人と確認した旨発表することは種々差障りがあると考え、いずれも、恵美子の口からは新聞記者には「たけは分らないと言つている。」と答えたのであるが、事実は上記のとおりである。)。

2  吉田たけの供述する犯人像と被告人との対比

(一) 年令

前掲吉田たけの第三回公判供述によれば、犯人の年令は五〇歳位の男性だが、被告人の年令は本件犯行当時五一歳であつた。

(二) 身長

前掲吉田たけの第三回公判供述によれば、犯人の「背の高さは五尺位でいいあんべえ大きい人で自分より大きかつた」ものであり、前掲54・3・10検面によれば、犯人は自分より背が高く、息子の吉田実(一メートル六〇センチ)よりちいと大きい感じがしたことが認められるところ、山田久夫の54・3・2員面によれば、被告人の身長は一メートル六〇センチ位である。

(三) 人相、体形

前掲吉田たけの第三回公判供述によれば、「犯人はちよつとやせており、背の高さはいいあんべえ大きい人で、顔もやせており、眼鏡はかけていなかつた」ことが認められるが、被告人はやせ型、面長であり、眼鏡をかけていない。

(四) 着衣

前掲吉田たけの第三回公判供述及び54・3・10検面によれば、「犯人は茶色つぽい土方の着ているような服を着て、地下足袋をはいていて、ズボンの下の方を巻き込んでいたのでズボンの下の方が細く見えた」ことが認められるところ、前掲被告人の第一一回公判供述、菊地民一の54・3・17員面、高橋はついの検面及び54・4・4実況見分調書によれば、被告人は地下足袋を所有しており、これをはいて農作業をすることがあつたこと、右地下足袋を被告人と同じ位の身長の者がはけば、作業ズボンの先が右地下足袋に巻き込まれて細くみえること、二月二六日、自宅を出るとき、被告人は茶色のジヤンパーと作業ズボンを着用し、排水工事現場の監督の仕事をするための格好であつたことが認められる。なお、被告人は第二〇回公判廷に至り、「地下足袋は新品が家にあつたが、犯行当時はいていたことはない。」と供述しているが、前掲各証拠に照らして採用することができない。

(五) 鳥打帽子

前掲吉田たけの第三回公判供述、54・3・30検面、54・3・26及び54・4・7各員面によれば、犯人は茶色つぽい冬の鳥打帽子のようなものをかぶつていたこと、その形状は54・3・26員面添付図面に記載したものであること、同種の帽子八個の中から犯人の帽子に似ているもの三個を選び出したが、その中の一はサーモンピンク色キヤツプのシコロ付帽子(同号の二)であることが認められる。

前掲山田久夫の54・3・19検面、54・3・2、54・3・14及び54・4・6各員面、本多広の54・5・1、高瀬孝、菊地文子、大久保きみ、鳴毛政雄及び鈴木一三の各54・4・6員面、浅野久市の員面(三通)、前掲被告人の54・3・25検面、(一八枚綴り)、54・3・24及び54・3・26各員面、55・2・19写真撮影報告書、前掲帽子(同号の二)によれば、被告人はピンク色のコールテン地のつばの小さい帽子でサーモンピンク色のシコロ付帽子(同号の二)と同じ形の帽子を所有し、普段これをかぶつて排水工事現場で作業しており、二月二六日午前八時ころ、ヒタチ緑化の事務所に右と同種の帽子をかぶつてやつてきて、二六、二七両日の作業を休む旨鈴木社長に伝えに来たこと、翌二七日の午前九時半ころも右帽子をかぶつて排水工事現場に現われたこと、被告人は二六日午前中に自宅を出てから二七日夕方取手競輪場の駐車場で民一が持参した衣服と着替えるまで着衣を替えておらず、そのときに、右かぶつていた帽子を脱いで自動車内に置いたことが認められる。なお、被告人は公判廷においては、右鳥打帽子のようなものはかぶつたことはないと供述するが、前掲各証拠に照らして採用することはできない。

(六) 銃器

前掲吉田たけの第三回公判供述及び54・3・28員面によれば、犯人は長い鉄砲を持つており、その鉄砲というのは鳥を撃つたりするもので、兵隊が戦争に使うものではなく、長さはたけの両手を広げた位のずいぶん長いものであり、その形状は54・3・28員面添付図面のようなものであることが認められるが、前掲被告人の第八回公判供述、鉄砲所持許可証及び自動車運転免許証の照会について(取刑発第一一二号)、前掲散弾銃(同号の九)によれば、被告人は右水平二連元折式散弾銃を所有していることが認められ、吉田たけの説明する銃器と被告人所有の右散弾銃の形態は相似しているということができる。

(七) 拐取に使用された車両

前掲吉田たけの第三回公判供述、54・3・10検面、54・2・27及び54・2・28(二枚綴り)各員面によれば、同女が犯人に乗せられた車は、白つぽい小さい貨物自動車で、車はちいと古い車で、外に泥がついていて座席もきれいではなかつたこと、小さな車で座席には犯人とたけしか坐れない位で後ろが荷台になつていたことが認められるところ、前掲被告人の第一〇回公判供述、54・3・25検面(一四枚綴り、図面一枚)、54・3・10検証調書、郡司典男の54・3・5捜査報告書によれば、被告人が所有し常時運転している車は軽四輪貨物自動車白色スズキキヤリイであり、二月二六日朝から右スズキキヤリイを運転して自宅を出ており、右車両外側には泥が付着し、運転席、助手席とも足下が泥で汚れていたことが認められる。

(八) 以上(一)ないし(七)に認定のとおり、吉田たけが供述する犯人像と被告人とを対比すると、多数の類似点が存在する。

3  弁護人の主張について

弁護人は、吉田たけは老令である上に精神にも異常があり、又本件犯行については大々的に新聞報道等がなされて地元の評判にもなり、これによりたけは被告人が犯人であると思い込んで供述を変遷させたのであり、事件直後の「犯人は一七〇センチメートル位、三〇歳位の見たことのない男」というたけの供述こそ最良の証拠であり、たけは元来被告人を知つていることからいつても、犯人は被告人とは別人であると主張する。

なる程、たけは、前記1及び2に判示の如き供述をなす反面、部分的には、当公判廷においても、「連れ出した人は今は忘れた。」「三月一三日の面通しの時には連れ出した人はいなかつた。」「連れ出した人の顔は暗闇で良く分からない。」とも供述しており、その他質問に対して黙り続けたりした場合もあり、又犯人の年令、身長等について被害直後から公判に至る間に供述の変遷もある。そこで、たけの被告人が犯人であると特定している点及び犯人の特徴等に関する前記供述の信用性について検討する。

(一) たけの記憶力、視力等

前掲吉田恵美子の第三回公判供述、吉田亀次郎の第四回公判供述及び吉田たけの54・2・28員面(七枚綴り)、吉田清志、原田愛子、鈴木典子、中島里子、菅谷たけ、長田照吉、鈴木三郎の各員面、石崎誠作成の54・4・9実況見分調書によれば、たけは、本件事件を知つて見舞いに来た高等女学校時代の友人石原ヨシについて、四五、六年振りの再会であつたにもかかわらず、その名を憶えていたことを始め、記憶力についての実況見分において、親族、知人といつた面識のある者の名前と顔は憶えており、面識のない者については分らないと述べていること、監禁された小屋から脱出してきた二月二七日、司法警察員に対し、「閉じ込められたところは陸田になつているところ。陸田の周囲を道路が回つているところだ。田圃の中の小屋に閉じ込められた。小屋の中には百姓の道具があり、ワラが敷いてあつた。」と供述しているが、その後の実況見分の結果と良く一致していること、当事件で証人として呼出されたことについても、その出頭の期日をはつきり憶えていたこと、身の廻りの洗濯、掃除等も自分でやらなければ気のすまない方で、家庭においても家族の一員として正常な家庭生活を送つていること、視力についても、老眼にはなつたが、新聞も中程度の活字はメガネがなくとも読むことができ、針仕事をするときはメガネをかけるが、近所に買物に行くなど日常生活にはメガネがなくとも全く不自由せず、色もよく分かり、暗い所にいることが平気で、庭師の帰つた後の暗い庭を眺めて歩いたりすることもあることが認められる。

したがつて、吉田たけは、以前のことについても最近のことについても記憶力があり、夜間の視力も有し、又目撃したことについてもその要点を事実に即して表現する能力もあるというべきである。

(二) たけ方洗い場及び監禁小屋で犯人の顔を確認しうるか否かの点

前掲吉田たけの第三回公判供述、吉田恵美子の54・2・27員面、54・3・11及び54・3・8各実況見分調書、54・4・6検証調書によれば、たけは自宅洗い場において距離八〇センチメートル位で犯人と対峙し、監禁小屋においても犯人を確認しているが、吉田方洗い場には外灯はないが、当時二階に恵美子らが居り、二階の室内の照明が外部に洩れ、洗い場にも達していたこと、その明るさは距離一メートル先の人の顔が識別できる程度であつたこと、又犯人の車両は監禁小屋西方から進行してきて、小屋の右角から三・九メートルの地点にライトをつけたまま停止していたが、右地点に停車した軽自動車の前照灯の光度は監禁小屋に連れ込まれる際犯人の顔を確認し、人相を判別するに十分であることが認められる。

(三) たけの性格

前掲吉田恵美子の第三回公判供述、吉田実の員面によれば、たけは、二男を産んで間もないころ、家に強盗が押入り、舅が槍で突き殺され、その他の家族が傷つけられた状況を目撃した体験を有し、以後無口で人嫌いとなり、おもしろくないことがあつたり、馬鹿にしたような口のきき方をされたり、何度も同じ事を聞かれると、へそを曲げて「んだわね。」と適当なあいづちを打つたり、沈黙してしまうという性癖を有していることが認められる。

前掲吉田たけの第三、四回公判供述によれば、たけは、第三回公判廷における検察官の主尋問に対しては概ね素直に犯人の特徴等につき供述していたが、弁護人の反対尋問以降「分からない」といつたり黙つていたりすることが多く、特に第四回公判廷における弁護人の尋問に対しては「忘れました」と言つたり黙つていたことが殆んどである。これは、たけが七〇歳という老令であり、守谷町から土浦市の裁判所まで出頭し、事件後半年を経過した時点で、一人で証人席に坐り且つ拐取された被告人の面前で執拗に尋問されたため、前記性格から同じ事についての詳細・執拗な尋問に対し、適当なあいづちを打つて前後矛盾する供述をしたり、黙つていたりしたものというべきであり、後述の如く吉田恵美子の意を尽くした仲介により供述した捜査段階の供述及びこれに沿つて素直に述べられた当初の公判供述部分こそ信用に値いするものというべきである。

なお、弁護人は、たけは従前から被告人を知つていたと主張し、吉田たけの第三回公判供述中には、被告人はたけ宅に良く来ていた人である、という部分もある。

たしかに、被告人がしばしば吉田方を訪れたことのあるのは上記判示のとおりであるが、しかし、右(三)で述べたとおり、たけは極めて人嫌いで無口であり、来訪した被告人とも話をしたこともなく、殆んどその顔も覚えていなかつたのであり、前掲吉田たけの54・3・14検面(三枚綴り)によれば、三月一一日取手警察署で被告人の面通しをした際にも、「被告人を事件前には見たことない。連れ出した男とすぐに判つたが、名前は全然判らない。」と述べていることが認められ、第三回公判供述中には、被告人がたけ方に良く来ていたか、という問いに対し、「さつぱり知りません。」と述べている部分もあり、弁護人の主張にかかるたけの前記供述部分は採用することができない。

(四) 誘導、報道の影響

(1) 吉田たけは、犯人の年令について、当初は「三〇歳位」と供述したが、次いで「四〇歳位とも思えてきて、見ようによつては五〇歳位に見える人だと思い出した。」と供述しており、身長についても「一メートル七〇センチメートル位」から「私より背が高く息子の吉田実(一メートル六〇センチ)よりちいと大きい感じがしました。」となり公判廷においては「五尺位」と供述が変遷しており、弁護人は当初の供述こそ新鮮な記憶に基づく信用できるものと主張する。

(2) 54・4・20捜査報告書によれば、被告人の氏名と顔写真が犯人として新聞に報道されたのは三月五日朝刊以降のことであると認められるが、前記のとおり、たけが新聞記者の持参した写真を見たのは報道より前の三月二日及び三日である。

(3) 前掲吉田恵美子の第三、四回公判供述によれば、たけは、前記のとおりの性格で他人とは殆んど話をしないので、たけの取調の際には出来るだけ恵美子が付添つていた。恵美子は吉田実と結婚して二一年になり、たけの性格も知悉しており、たけが事件後落着いてから、具体的な聞き方をしてたけが思い出す手助けをしており、たけの捜査官による取調べにも出来るだけ立会い、辛棒強くたけの供述を聞く様にして、たけがあいまいなことを言つているのに断定的に取次いだり、否定的なことを言つているのに背定的な取次をしたことはなく、知り合いの被告人が犯人でなければ良いと思つていた位であるから、たけに対し、被告人を犯人とする様な誘導をしたことも全くない。

(4) たけの前記供述の変遷については、前掲吉田たけの54・3・10及び54・3・14各検面(五枚綴り)、吉田恵美子の第三、四回公判供述、吉田亀次郎の第四回公判供述並びに菅谷朝一の第六回公判供述によれば、被告人は頭髪豊かで黒々としており、眉毛も太く実際の年令より若く見えること、やせ型で細面であり、たけは、鉄砲を持つて脅かされ、恐怖心があつたこと、午後七時ころに前記自宅二階の照明あるいは自動車の前照灯で確認したものであること、たけは老令になるにつれて腰が曲がつてきて、常時他人を下から見上げる格好になつても若い時の背が高かつた感覚もあることから、年令は四男の享位、身長は取調警察官位と説明し、それが三〇歳位、一メートル七〇センチ位という表現になつたものであり、被害直後の疲労、興奮状態から日が経つにつれて次第に落着きを取戻し、気分の良い冷静なときに、恵美子が具体的な質問をしたり、共に手を組んだり、歩いたりという動作をしているうちに徐々に犯人の特徴が明確になつてきたものと認められる。

(5) 以上のとおりであるから、吉田たけの犯人についての供述の変遷は不合理なものではなく、報道の影響や誘導によるものでもないというべきである。

4  まとめ

以上の検討によれば、吉田たけの供述は、被告人を犯人であるとする点においては捜査、公判を通じて一貫している。そして、その述べる犯人の特徴については変遷や矛盾は存するけれども、その矛盾や変遷はたけの性格及び特異体験の影響等として十分了解可能なものである。それらの点に十分顧慮を払い、たけに真実のことを正しく表現させうる立場にあつた吉田恵美子を介して供述された前記認定の犯人の特徴に関する供述部分は十分信用に値いするものというべきであり、そのような証言の重要部分は後述の客観的事実ともよく符合しているのである。そうすると、そのように基本的に信用できる供述の中で、一貫して明確に犯人は被告人であるとする点もまた十分信用することができ、この点に合理的な疑いを差し挾む余地はないというべきである。

三  犯人の身代金要求の電話の声と被告人の声

1  吉田恵美子の聴覚印象

前掲吉田恵美子の当公判廷における供述、第三回公判供述、54・3・14検面及び54・2・27員面によれば、吉田恵美子は、二月二六日午後七時五〇分ころから午後八時二〇分ころまでの間に三回犯人からの電話を受けたが、犯人の声は、おだやかな低い声、冷静で口の中にこもつたような感じで淡々とものをいう感じ、抑揚が余りなく声を一つ落したような調子でこもつた感じで、茨城訛りは余り感じなかつたこと、犯人は若い者ではないということは確信を持つており、六〇歳位かとも言つたが結局中年以上の強いていえば年をとつている位のところと感じており、三月一三日に警察署の取調室で被告人の声を聞いたが、口を良く開けないでしやべつている、口がこもつたような感じ、茨城弁の尻上りという強さはなく、アクセントも強くなく、淡々とものをいうところと相づちの返事の仕方、そういう雰囲気が、犯人の声と大変似ていた、との印象を持つたことが認められる。

2  菅谷冨士江の聴覚印象

前掲菅谷冨士江の第五回公判供述、検面、員面によれば、菅谷冨士江は、二月二七日午前六時半ころ、犯人から電話を受けたが、犯人の声は特別の方言は入つていないが、何時も自分が守谷町近辺で聞いているニユアンス、調子の声で、東京の都会の言葉とか、関西弁、東北弁とは思わなかつたこと、又太くも細くもないやさしい声で低い声、声を押え意識的に低くしているような感じで、年令は三〇歳から四〇歳位の声だと思つたこと、言葉の最後が尻上りで声を落していたこと、以前に被告人と会つたことはなく、三月一四日取手警察署で取調室のドア越しに被告人の声を聞いたが、言葉の終りが尻上りで、三〇歳から四〇歳位の若い声で、守谷町付近の言葉といつた点で犯人の声と同一とは断定できないまでも似ていたとの印象を持つたことが認められる。

3  菅谷朝一の聴覚印象

前掲菅谷朝一の第六回公判供述及び54・2・27員面によれば、菅谷朝一は、二月二七日午前六時半ころと午前一一時一六分ころの二回犯人からの電話を受けたが、犯人の声について、一回目は「吉田、吉田」としか聴きとれず内容は分からないが、相手の声は大人の男の声、低い声の調子、鼻にかかつた声で茨城弁に感じ、三〇歳位と思つたこと、二回目の電話の声も男の声で茨城弁であつたこと、心当りの者の声を思い出してみると、当初は被告人かアサミに似ていると思つたが、後に被告人の声に似ていると思うようになつたこと、すなわち鼻につまつた声と茨城弁の点で、特に一回目の電話の声が被告人の声に似ているとの印象を持つたこと、二月二七日、平尾昭方に行き、同人に「まさか菊地(被告人)ではあるまいな。」と言つたり、翌二八日には吉田亀次郎に「菊地の声に似ているような気もするがまさか菊地ではあるまいな。」と言つたりしていたことが認められる。

4  類似性

弁護人は、右三名の証人の供述する犯人の声の特徴だけでは被告人と結びつけることは出来ず、又犯人の声について、吉田恵美子は六〇歳位と感じ、菅谷冨士江は三〇歳位と感じた様に、短時間の、しかも異常時に聞いた声を記憶を頼りに比較することは無理であるとして、右三名の証人の供述は犯人の声と被告人の声を結びつける根拠にはなりえないと主張する。

たしかに、眼で見た場合と異り、数人が各別に耳で聴いた場合、殊にそれが各短時間で異常時のようなときには、その間にそれぞれの聴覚印象に差異が生ずることは考えられるけれども、しかし、だからといつて、これらの印象の比較検討が無意味になるものではないところ、本件にあつては、前記のように三名の証人の供述は、重要な点において共通しており、即ち、それぞれ自分が電話で聞いた犯人の声と被告人の声の特徴は同じだと感じ、両者は大変似ているとの印象を持つたというのであるから、これを基本に前記各供述を総合すると、二月二六日及び二七日に犯人からかかつてきた電話の声は、被告人の声とは断定できないものの、極めて類似しているものというべきである。

そして、本件においては被告人が猟銃をもつてたけを連れ出して小屋に監禁したことは間違いのないところであり、これと

時間的にも内容的にも符合する電話がかかつている事実に右述の点を勘案すると、本件電話の主は被告人であると認めるのが相当である。

四  被告人所有のスズキキヤリイの左側前輪タイヤのタイヤ模様と監禁小屋前の農道から採取されたタイヤ痕

1  現場のタイヤ痕

前掲54・3・8実況見分調書(二一枚綴り図面五枚添付)、足跡等採取報告書、高島実作成の54・2・27捜査報告書によれば、監禁小屋南側農道上に雨にうたれているが、比較的新しいタイヤ痕二条が、既に出来ていた車輪痕の上に印象されていたこと、右タイヤ痕は、監禁小屋の南西端から西方へ約四、四メートルの地点で、西側(御出子方面)から東側(小貝川堤防方面)に向けて進行して来て、右地点で停止した痕跡と見られること、その先東方に進行しているタイヤ痕は認められなかつたこと、そのタイヤ痕の輪間距離は概ね一一〇センチメートルであることが認められる。従つて、当該車両は西方から進行してきて監禁小屋西方四、四メートルの地点で停車した後に同地点から後退後転回して西方に走り去つたものであり、小雨の降りぐあいから右タイヤ痕は二月二六日から二七日朝までの間に印象されたものと推定できる。

2  被告人所有のスズキキヤリイのタイヤ

寺田隆男(六枚綴り)、寺田嘉男、小林隆、佐藤茂宣の各員面、前掲54・3・10検証調書、54・3・7実況見分調書(二枚綴り図面一枚添付)、司法巡査作成54・3・7捜査報告書、54・3・18写真撮影報告書によれば、被告人は昭和五二年三月下旬ころ、スズキキヤリイを購入したが、同車のタイヤは中古ブリジストンタイヤであり、購入後前後輪のタイヤは全く交換したことがなく、同年九月一五日の車検整備の際もタイヤに亀裂損傷などの異状はなかつたこと、同車のスペアタイヤは、ボルトのネジヤマの泥土、タイヤ上部の塵介等の付着状況から、昭和五四年三月七日以前の二週間内に着脱されたことはないこと、同車の前輪トレツド幅は一一二センチメートルであることが認められる。

3  現場付近の車両の通行状況

54・3・25、54・3・28(二通)、54・3・29(二通)各捜査報告書によれば、監禁小屋付近の小絹、平戸、筒戸の三部落に居住する者が使用している軽四輪貨物、乗用自動車一三七台のうち、二月二六日の犯行時刻ころ監禁小屋前の農道を走行したものは他にないこと、事件発生後の二月二七日午後二時五〇分ころ、警察官は監禁小屋を発見し、直ちにその前の農道に立入禁止措置を採り、警察の車両も一切右農道に乗り入れていないことが認められる。

4  鑑定

以上のような状況のもとに現場から採取されたタイヤ痕三個と被告人所有のスズキキヤリイのタイヤの同一性について鑑定がなされた(以下、右三個のタイヤ痕の内、小屋南西端から一六・一五メートル地点のものを<1>のタイヤ痕、同じく一四・四メートル地点のものを<2>のタイヤ痕、同じく八二・七メートル地点のものを<3>のタイヤ痕という。)。

(一) 中田鑑定

前掲中田美代志作成の鑑定書によれば、<1><2>のタイヤ痕は、被告人車両の左前輪タイヤ模様及びこれによつて印象採取されたタイヤ痕と酷似しているが、<1><2>のタイヤ痕では多くの付着物や不鮮明な部分が多いために、右タイヤ現物に存在する損傷等固有の特徴が<1><2>のタイヤ痕には指摘することが出来ないため同一との断定的結論には至れないというものであり、又<3>のタイヤ痕については、左後輪タイヤと類似性は認められるが、<3>のタイヤ痕は不鮮明で概略的な比較しか出来ないため、より進展した結論は得られない、とするものである。

(二) 石川鑑定

前掲石川巧の鑑定書によれば、<1><2>のタイヤ痕と左前輪タイヤは、いずれもブリジストンタイヤ(株)製五、〇〇―一〇MIGHTY RIBであるが、<1><2>のタイヤ痕には左前輪タイヤのトレツド部被傷が確認できなかつたこと、右五、〇〇―一〇MIGHTY RIBの年間生産量が約二〇〇万本であり、市場に多数出荷されていることから、両者が同一であることの確認はとれなかつたという結論である。

(三) 弁護人の主張について

弁護人は、中田鑑定により、現場タイヤ痕を被告人の車によるものとすることは否定され、更に証人石川巧が公判廷で両者は同一でないと供述しており、又計測された両者の数値を比較しても、現場タイヤ痕と被告人の車両のタイヤが同一でないことが明らかになつたと主張するが、中田鑑定は、前記のとおりであつて同一との断定はできないとするものにすぎず、否定的結論をとつているわけではないし、証人石川巧の供述中には、両者は同一ではないという表現の部分の存することは弁護人主張のとおりだが、その意とするところは、両者が同一であるかどうかの確認を問われたので、より厳密な検討を加えないとそれはどちらとも言いきれないというにあることが充分窺われるものであり、同証人が鑑定結果を忠実に表現しているのは鑑定書の鑑定主文の記載であると供述していることをも参酌すると、両者は別個のものであるというのではなく、同一とまでは断言できないという趣旨と解される。また、証人石川巧の供述によれば、両者の溝幅の数値の違いは、<1><2>のタイヤ痕の溝幅について溝の両端が明確でないためであり、両者が別個のものと判断するよりは、この程度の差異は測定上の誤差と見るのが相当と認められる。

従つて、弁護人の右主張はいずれも採用することができない。

しかして、以上(一)ないし(三)の各事実を総合すると、本件犯行のころ現場に残されたタイヤ痕については、これを被告人所有車のタイヤ痕と断定はできないものの、これを異るものとする明確な特徴点も見出すことができないのみならず、右タイヤ痕は被告人所有者のタイヤと同じブリジストン製五、〇〇―一〇MIGHTY RIBタイヤのタイヤ痕であり、しかも両者を更に仔細に検討すると、その間に部分的ながら類似性の認められる特徴点も存するのであり、これに、上記3の本件犯行のころ他に犯行現場を走行した車が確認されていない事実をも併せ総合すると、本件における現場タイヤ痕の存在は、被告人と本件犯行との関係について重要な間接事実をなすものというべきである。

五  被告人のアリバイ不存在及びアリバイ工作

1  弁護人及び被告人の主張

弁護人らは、被告人は、二月二六日午後七時ころから午後八時ころまでの間、谷和原村大字平沼二五七番地の鳴毛たか宅裏手の小貝川堤防上の自動車の中で鳴毛たかと会つていたので、被告人にはアリバイが存在すると主張する。

2  アリバイ不存在

前掲鳴毛たかの第六回公判供述、検面及び員面(二通)、鈴木秀雄の検面(二通)、員面(二通)、鳴毛京子の検面、員面、鳴毛勝明及び飯島正一の各員面によれば、被告人と鳴毛たかは、かねて昵懇の間柄にあつたところ、本件犯行の前日たる二月二五日も谷和原大橋の堤防で会い、その際翌二六日の午後七時半ころ鳴毛宅から一五〇メートル位離れた小貝川堤防上で会う約束をした。そこで鳴毛たかは、翌二六日、隣家の鈴木秀雄方に行つた後の午後七時一〇分ころから二〇分ころまで自宅前の道路に通じる細い農道にいて北方や南方から来る自動車を見ていたが、被告人がやつて来ないので一旦屋内に入り、再び午後七時半ころから午後八時過ぎまで家の前の道路傍で待つていたが、被告人は遂に来なかつたこと、たかは、被告人を待つている間の午後七時五〇分ころ、飯島正一が公民館の鍵を取りに鳴毛方に来たのを目撃しており、又午後八時ちよつと過ぎころ、集会が催される公民館に行く途中の鈴木秀雄と会い、「秀ちやん今からか」、「京ちやんの母ちやん(たかのこと)、八時ちよつと過ぎだから、今からでも遅かねえよ。」と言葉を交してすれ違つていることが認められる。

54・3・31捜査報告書、鈴木孝一及び鈴木茂夫の各員面によれば、二月二六日午後八時ころ、小貝川堤防近くの平沼公民館で集会があつたが、これに参集した者一八名の中で、行き帰りの途中に被告人車両を目撃した者は一名もおらず、又同日午後七時から九時ころまでの間、堤防脇に居住する鈴木孝一方及び鈴木茂夫方では小貝川堤防上を走る車の音を聞いた者のいないことが認められる。

3  アリバイ工作

前掲鳴毛たかの第六回公判供述、検面、員面、飯島志んの検面、員面、鈴木清治の検面、員面、鈴木ふくの検面、員面及び染谷正男の員面によれば、被告人は、事件後の三月三日午後三時ころ、土浦駅から筑波学園都市にタクシーで乗りつけ、工業技術院C地区の飯場を三〇分位捜しまわつた後、吾妻住宅工事現場にいた鳴毛たかを捜しあて、午後四時ころ、二人でビルの角のボイラー室で話をし、鳴毛たかが、「二六日の晩何で来なかつたのか。雨が降つていたから来ないのかなと思いながらも、待つていたんだよ。」と聞いたのに対し、「民一と喧嘩したから来なかつた。」と答え、「自分は疑われているんだよ。俺は何もやつてねえから構わないが、もし警察官に連行されて取調べられたら、たかと会つていたことにしなければならない。二六日にはどうせ会うことになつていたんだから、午後七時半から八時一五分まで小貝川の堤防で会つたことにしてくれ。」と依頼したので、たかは変だとは思つたものの、被告人とは以前から昵懇の関係にあつた仲でもあるので断わりきれず、工事現場で親方の鈴木清治に、又帰宅後夫の鳴毛政雄に、それぞれ被告人に頼まれた通りの嘘をついたが、夫が駐在所の警察官にそれを伝えたりしたため、一晩眠れず、翌四日には警察官から出頭するよう求められたりしたので、嘘をつき通すことはできないと思い、四日の午前七時ころ夫に真相を打ち明けたものである。

4  弁護人の主張について

右のとおり、鳴毛たかは、三月三日には「本件犯行時被告人と会つていた。」と供述していたのに、後にこれを虚偽のこととしたものであるが、弁護人は、被告人と夜密会していたことが明るみに出れば、鳴毛方の家庭の崩壊を招くため、家庭の平和を保とうとして、被告人と会つていなかつたと供述を変えたものであり、当初の供述が真実であると主張する。

しかしながら、鳴毛たかの捜査機関及び公判廷における前記各供述は、被告人とのこれまでの昵懇の関係を告白し、三月三日被告人と会つた際、被告人が本件犯行当日密会の場所に来なかつた理由は民一と喧嘩したからと述べるなどその場での会話の内容及び悩みながらも夫らに嘘をつき、翌朝真相を打ち明けるに至つた状況等が具体的、詳細に述べられており、その間その信ぴよう性を疑うべき要素は何らみられず、右各供述は十分信用することができるものであつて、弁護人の右主張は採用できない。

以上のとおりであるから、被告人は、前日に約束していたにもかかわらず、犯行当夜の二月二六日午後七時ころから午後八時過ぎまでの間、小貝川堤防上で鳴毛たかと会つておらず、しかも三月三日鳴毛たかに対し、二月二六日の右時間に会つていたことにしてくれと依頼してアリバイ工作をしていることが明らかである。

しかして、被告人がもし本件の犯人でないとすれば、何故に以上の如き虚偽の事実を主張し或いはアリバイ工作をしたのかという点については、前記弁護人の主張にもあらわれている鳴毛たかとの関係を考慮に容れ、その他本件全証拠関係を仔細に検討しても、これを納得するに足る事情を見出すことができないものである。

六  その他の間接事実

1  被告人は自宅の新築資金に窮していた事実

(一) 新築の経緯、支払状況等

前掲被告人の54・3・25検面二通(一八枚綴りのものを除く)及び54・3・23員面、菊地民一の54・3・8及び54・3・6各員面、小菅勝好の検面及び員面(二通)坂巻勝一の検面及び員面(二通)並びに吉田英の検面及び員面、紀伊国久子及び前掲菊地忠作の各員面、川〓子優三の54・3・17捜査報告書によれば、次の事実が認められる。

被告人宅を新築することについては、昭和五〇年ころから家族の話題となつており、民一は積極的であつたが、被告人自身は新築資金の見込みが立たないこと、新築に金を使つてしまつては病弱な自分と実父寅吉並びに内妻はついの今後の生活設計が立たないところから消極的であつた。しかし、民一が結婚適令期となり、自宅を新築して嫁を迎えることを強く望んだことから、昭和五三年八月末ごろには、被告人も新築することを決意して、同年一一月一八日、遠縁の小菅勝好が社員となつている坂巻兄弟建設株式会社と被告人との間に建坪四一坪の木造二階建家屋を代金一〇八〇万円で新築する契約を締結した。代金の支払については全て被告人自身が担当することにして、小菅に対しても絶対に迷惑をかけないことを確約した。代金支払の条件については、契約時に二〇万円、同年一二月二〇日に六〇万円、上棟時に五〇〇万円、建物完成引渡時に五〇〇万円をそれぞれ支払うという内容であつた(通常は契約締結時に代金の三分の一相当を支払うのであるが、被告人は、契約当日、取敢えず二〇万円しかないといい、絶対迷惑はかけないと言うので、小菅勝好が縁続きの者でもあることから、右の様な条件で契約を成立させることができた。)。ところが、右一二月二〇日に支払う筈の六〇万円について、当日小菅が行くと、被告人は「ちよつと都合がつかないから一月一五日に来てくれ。俺も東京の病院に行つたりで大変なんだ。」と言つて支払わず、昭和五四年一月一六日に小菅が六〇万円の支払を請求してもやはり「都合がつかない。」と言つて支払わず、更に二月二〇日まで右支払を延期したが、被告人は右当日も「金が都合つかないから。」といつて六〇万円を支払わなかつた。そのため小菅が、金が用意してないのではないかと感じて、解約を仄めかすと、被告人は、「そんなことになつたら又民一に暴れられてしまう。野木崎(小菅の意)には迷惑をかけないからやつてくれ。」と建築続行を依頼した。ところが被告人は二月二四日午後七時半か八時ころ、小菅にわざわざ電話して「迷惑をかけたが、六〇万円払わなかつたから、二六日の一〇時ころ合わせて六〇〇万円支払うから。」と言つてきた。そのため小菅は安心して、坂巻勝一にも右事実を伝え、二月二六日、建前の日に坂巻勝一が被告人宅を二回訪問したところ、被告人はおらず、六〇〇万円の支払も受けられなかつた。翌二七日、小菅と坂巻は被告人方に行き上棟式に参加したが、その時も被告人はおらず、小菅が民一に「どうしてくれるんだ」と苦情を言つたところ、民一は、「どこに行つちやつたか分かんない。金の方は俺が何とかするから上棟式をやつてくれ。」と言うのみであつた。坂巻は、二月二八日にも厳しく支払を請求したため、支払については被告人に一任していた民一や被告人の弟吉田英は新築代金の調達に苦慮し、農協小絹支所長中田正太郎に資金借入れの相談をもちかけたり、被告人の資産を調べたりしたが、後記のとおり、当時寅吉名義の宅地、田畑があるのみで支払に当てられる財産はなく、被告人から新築代金の調達方について何らの指示も受けていなかつたため、右吉田英が三月一日に一五〇万円、叔父菊地忠作が同月五日に四五〇万円を坂巻に支払つた。その他、被告人は建前の参加者に振舞う弁当代三四万三〇〇〇円、引出物の代金六万七五〇〇円についても全く支払いをしておらず、右菊地忠作が代払いをした。

(二) 被告人の資産

前掲中田正太郎の検面、員面(四通)、古谷泰一郎の54・3・25、古谷きよ及び土田勝美の各員面、渡辺秀雄の54・3・26、54・4・25、54・3・16、柴田英司の54・3・15、小島保の54・3・5(谷和原農協の捜査関係事項回答書添付)、54・3・7(五通)、54・3・9各捜査報告書によれば、次の事実が認められる。

被告人の資産としては、被告人名義の田、父寅吉名義の畑が常磐自動車道用地のため買収を受け、総額一一二六万八六八〇円(未払金七万四七三四円を除く。)の買収代金が昭和五三年三月三一日までに谷和原農協小絹支所の右両名の普通預金口座に入金されたことはあるが、昭和五四年二月末現在で右両名の預金の大半は引き出され、被告人名義の口座には七万五六二三円、寅吉名義の口座には六三九二円の残高しかないうえ、被告人は同月五日現在で右農協小絹支所から計一二一万二〇〇〇円を借受けており、又取手市内、守谷町内、谷和原村内の各金融機関とは、右小絹支所を除き被告人及び寅吉名義のいずれについても取引がなく、民一名義で水海道市内の県商工信用組合に二〇〇〇円の普通預金及び関東銀行に残高一〇〇〇円の当座預金があるのみであり、内妻高橋はつい名義の預金もない。

また、被告人宅の新築に関して、親戚の古谷泰一郎夫妻及びその母古谷きよのいずれも被告人から資金援助の申し込みを受けたり借入れの保証人となるよう依頼されたことは全くないし、右古谷方では、昭和三五年ころ民一の母方の祖父が死亡したが、その際民一は相続関係の権利を放棄しており、民一に対して将来財産分与等をするという意思も約束もない。又被告人は、谷和原農協本部あるいは小絹支所に対して、住宅資金につき具体的な借入れの申込、相談をしたことも全くない。

前掲鈴木一三の54・3・2員面によれば、被告人の自宅新築について、近親者は「金回りがよくないのに家を建ててどうするのだろう。」と思い、地域の住民は「金もないのに良く建てるものだ。どこで工面したのだろう。」と心配していたことが認められる。

(三) 弁護人の主張について

弁護人は、右六〇万円の支払いを延期したのは建築工事に欠陥があつたのでその補修後に支払いをすることにしたのであるし、被告人は農協の預金から引出した約一二〇〇万円の内四五〇ないし四六〇万円をまとめて家の中に隠しており、又その内四〇〇万円については妹の麻生まつ子に預けておいたものであり、その他親族及び農協から借金することも考えていたから資金の目途はあつたと主張する。

しかしながら、被告人は54・3・5員面では「現金四五〇万円から四六〇万円を家の中の土中に埋めている」といい、54・3・25検面(一三枚綴り)では「屋敷の建物の中に隠してある。」と供述するのみで、その所在を明らかにせず、被告人にとつて非常に有利な事実であるにもかかわらず、右金員を提出しようとしなかつたものであり、しかも、54・3・5員面では「現金は自分以外の者はどこに置いているかわからない。」と供述しながら、麻生まつ子が第七回公判廷で後記のとおり供述してからは、「四〇〇万円は麻生まつ子に預けていたものであり、麻生まつ子が上棟式のとき持参してきていた筈だから自宅にあつたといつたのだ」と供述を変えており、現金四〇〇万円を隠していたという被告人の主張は採用しがたい。又既に期限の到来していた六〇万円の支払いの延期を重ねたことは工事の欠陥が原因という点も、菊地民一の供述中にはこれに沿う部分もあるが、前掲小菅勝好、坂巻勝一の各供述調書と対比すると採用することができない。

なお、麻生まつ子は、第七回公判廷において、昭和五三年八月二〇日ころ被告人から、民一に使われないようにするため現金四〇〇万円(前同号の八)を預かるよう依頼され、以後預つていた、と供述するが、前掲麻生まつ子の54・3・8員面によれば、「真相を知るため、私が知つていることは隠さないでお話しします。」と前置きして「五三年一一月か一二月ころ電話を受けたとき、どの位の家を建てるとか、その金はどうして貯めたとか、一切聞かなかつた。」と供述していることから、捜査段階において新築資金に関連して質問を受けていることが窺われるところ、被告人の妹として、被告人には有利な事情であるにもかかわらず、捜査段階では聞かれなかつたとして右四〇〇万円を預つたことについては全く述べておらず、又前掲小菅勝好、坂巻勝一の各供述調書及び石塚文太郎の員面によれば、二月二八日から三月五日ころまで、坂巻勝一から新築代金の支払を請求されて、民一、吉田英、初江、麻生重光、まつ子、石塚文太郎らが集まり、支払金の算段のため必死になつていたとき、麻生まつ子もその場におり、当然それを知つていたのに、右四〇〇万円を預つていることを兄弟に打ち明けたこともないことが認められ、その他、麻生まつ子の右供述があるまでは被告人自身まつ子に預けたとは全く述べていないこと、麻生まつ子は四〇〇万円もの大金を預りながら、被告人から禁じられたわけでもないのに銀行等にも預けないで、一年間以上自宅一階茶の間の棚の上に手製のダンボール様の紙の箱の中に自分達の預金通帳等と共に入れて置いていたとし、しかも一年以上にわたりまつ子の夫重光が右四〇〇万円の存在を知つていたと認められないことなど、麻生まつ子の第七回公判供述は不自然なことが余りにも多く、到底措信することはできない。

従つて、右弁護人の主張は採用することができない。

2  被告人は吉田亀次郎、たけ宅の様子を知悉していた事実

上記判示のとおり、犯人は、吉田亀次郎宅の裏手に車を停めたうえ、その東側裏木戸から屋敷内に入り、洗い場で食器洗いをしていた吉田たけに対し、「組合の者だが、組合長のおつかさんですね。」と申し向けており、吉田亀次郎方の様子に明るい者であることが推察されるところ、前掲吉田亀次郎の第四回公判供述、員面(三通)、吉田恵美子の第三、四回公判供述、海老原祐三郎の検面、員面(二通)及び被告人の54・3・22員面によれば、次の事実が認められる。

吉田亀次郎は、昭和一五年から同四三年にかけて、戦後の公職追放期間を除き、守谷町長の職にあり、現在も昭和四四年から守谷農業協同組合長、守谷町一市一村土地改良区理事長、北相農業共済組合長その他の役職にあり、農地解放前は合計三〇町歩位の田畑の大地主で、現在も山林三町歩、田畑三反歩、宅地一〇〇〇坪を有し、その他長男実名義の土地もあり、宅地六〇〇坪上の建坪七〇坪の鉄筋二階建家屋等に居住し、預貯金三〇〇〇万円位を有し、妻たけ、姉とよ、長男実、嫁恵美子、孫久の六人が同居している。被告人は昭和四六年六月から右土地改良区理事となり、昭和五二年ころからは改良区の会合があるたびに、理事長の亀次郎を自動車で送迎するため、亀次郎宅へ来ており、亀次郎を待つている間邸内を見ており、洗い場付近にいるたけを見る機会もあり、同女が余り口を聞かない人間だと承知していた。

右土地改良区は、二月一三日、役員の旅行について理事長の吉田亀次郎が出席できる日を選び、同月二六日出発、二泊三日の伊豆大島旅行とすることに決定し、同月一七日、事務局長の海老原祐三郎が被告人に会つた際、同月二六日出発の右旅行の概要を話して参加、不参加の確認をしたところ、被告人は不参加の意思を表明した。

以上の認定によれば、被告人は吉田亀次郎方の資産状況、邸内の様子、家族構成、又吉田たけが老令のうえ人嫌いで無口であること、吉田亀次郎が二月二六日、二七日に改良区の旅行に参加して自宅を留守にすること等を知つていたものと認められる。

3  被告人は理由もないのに上棟式の行われる二月二六日午前一〇時ころ自宅から姿を消した事実

前掲菊地民一の54・3・3、54・3・6各員面、菊地正道、古谷泰一郎(二通)、海老原祐三郎の各検面、鈴木一三の54・3・14員面によれば、次の事実が認められる。

被告人は、二月一七日、改良区事務局長の海老原祐三郎に、二月二六日からの役員研修旅行の参加の有無を聞かれた際、当日は母屋の上棟式があることを理由に欠席する旨答え、海老原が式を延期してもらつたらどうかと言つたのに対しても、大工がやるというので仕方がないと述べている。更に、被告人は、同月二六日午前九時ころ、ヒタチ緑化社長の鈴木一三に対し、二六日、二七日は上棟式があるので排水工事現場の仕事は休むと伝えている。ところが被告人は、親戚や近隣の人達を二月二六日、二七日に行なう建前と上棟式に招待しておきながら、息子の民一や兄弟らに何の理由も告げずに二六日午前〇時ころ自宅から姿を消してしまつた。被告人の居住する谷和原村の土地の風習として、自宅新築の施主で、お客を接待する立場にある一家の主人が上棟式当日に欠席するということは義理を欠く極めて異常な事態であり、二七日午前八時ころ、民一は真青な顔をして興奮した様子で被告人がいなくなつたことを古谷泰一郎方に知らせに行つており、古谷が被告人のいないことを本家の菊地貞夫に話すように勧めても、民一は「そんな恥かしい事は死んでも言えない。」と言つていた程であり、被告人が姿を消したことは家人にも理解できない異例の行動であつた。

弁護人は、被告人が当日姿を隠したのは、人が多数集まるところで、かねて仲の悪い息子の民一ともめ事を起こしたくなかつたからであると主張し、被告人の供述中にはこれに沿う部分もある。

しかしながら、菊地民一の54・3・6員面、被告人の54・3・8員面によれば、民一は、一日でも早く新築することを望んでいたので、当初二月一六日に予定されていた上棟式が同月二七日に延期されることが決まつた同月一一日ころ、延期を勝手に承諾したといつて被告人と喧嘩をしたことはあるが、この点についてはその夜二人で話し合つて民一も納得し、民一は興奮しやすいが、後までそれを持ち越さない気質であり、上棟式直前の同月二四、二五日ころに二人が喧嘩をするということもなく現実に上棟式の日を迎えたことが認められる。そのうえ、前記のとおり、民一らにとつて被告人が姿を隠したことが全く理解できないことであり、起きるかどうかも分らない民一とのもめ事を避けることが、土地の風習として極めて異例である一家の主人が上棟式を欠席することの理由になるとは解されず、弁護人の右主張は採用することができない。

4  被告人は、散弾銃を自宅から秘かに取り出し、犯行後戻すことができる状況にあつた事実

菊地民一の54・3・3員面、高橋はついの検面、麻生重光、麻生まつ子及び菊地正道(54・3・30)の各員面、当裁判所の54・3・26検証調書、54・3・11実況見分調書、散弾銃(前同号の九)によれば、次の事実が認められる。

被告人所有の前記散弾銃は、そのままでも同車の座席に斜めに立て掛けておけるし、これを銃身と銃床の二つに分解すれば被告人所有のスズキキヤリイの運転席の足下に隠して置くこともできるが、被告人は右散弾銃をすばやく銃身と銃床の二つに分解することが出来るところ、右散弾銃は平素被告人方二階建物置一階にあるガンロツカーの中に格納されていたが、右ガンロツカーの扉の鍵は、昭和五三年一二月ころ、新築の準備で引越をした際紛失してしまい、以後鍵はかけられず、何時でも出し入れ可能な状態であり、右ガンロツカー上部にはレターケースとスチール製衣裳箱が乗つているだけなので、これを取り去れば容易に散弾銃を取り出せる状況にあつた。右二階建物置には鍵のかかる出入口が三か所あり、建物北側中央の入口は外から鍵がかけられ、他の二か所は内側から鍵をかける様になつている。

二月二六日夜は二階建物置には寅吉や民一と麻生重光、まつ子が寝ていたが、その北東角の洋式ドアのラツチ錠は、午後九時半ころ麻生まつ子が就寝するため入つてくるまで、開放されていた。被告人は、同日午後六時半ころ、被告人宅から約八〇メートル離れたところにある墓場に駐車していたが、被告人宅の隣家の菊地正道宅とその東隣りの古谷祐一宅との間の山の中に被告人方二階建物置の東側約三〇メートルの所に幅約二尺の山道があり、この山道を歩いて行けば、誰にも見られずに被告人方の二階建物置に出入りが可能であつた。右物置の一階には寅吉が寝ていたが、同人は脳溢血により目の見えなくなつた全くの寝たきりの老人である。又前同日夕方七時ころまでは被告人方平屋の仮小屋の前で建前に参加した者が宴会をしていたが、右二階建物置の出入口の方は暗く人の出入りする様子は分かりにくい状況にあつた。麻生まつ子は翌二七日午前五時三〇分ころ、起床して二階建物置の扉の鍵を開けて外に出、庭で焚火をしていると、被告人が物置を改造した母屋から出てきて言葉をかけ、まもなくスズキキヤリイを運転して出かけていつた。麻生重光は同日午前五時半ころ起床してから被告人方に設営してあつたテントをはずしたが、被告人は、三月二日高橋はついに電話した際、同女に対し、「二七日の朝、麻生がテントをはずしているのを見た。」と述べている。民一は、右ガンロツカー内に被告人の散弾銃があることを確認したが、それは、二月二七日に犯人は銃の様なものを持つていたと聞いた後のことである。

以上認定の事実関係によれば、被告人は、二月二六日午後六時半ころ近くの墓場におり、前記山道を通つて秘かに二階建物置に入り、ガンロツカーから散弾銃を持ち出せる状況にあり、又翌二七日午前五時半ころ、被告人方に戻つてきており、散弾銃をガンロツカー内に返却することが可能な状況にあつたというべきである。

弁護人は、被告人方裏手には幅二尺の山道はなく、二階建物置には他から鍵を借りなければ出入りできないし、同所にいる父寅吉に気づかれるはずであり、宴会をしている人達にも気づかれない筈はないと主張するが、前掲各証拠に照らせばいずれも採用することはできない。

5  被告人は監禁小屋及び身代金要求小屋周辺の地理に精通している事実

前掲鳴毛たかの検面、員面、高橋はついの54・3・17員面及び被告人の54・3・5員面、郡司典男の54・3・26実況見分調書、前掲54・3・8実況見分調書(二通)、関徹也の54・3・13、54・3・14(二通)、54・3・16(二枚綴り)、54・3・17(三枚綴り図面一枚添付)、54・3・18及び大串猛の54・3・16各捜査報告書によれば、次の事実が認められる。

本件監禁小屋は、田見谷地内の畑の中に、同種の揚水機小屋が三〇個ある中の一つであり、多数の揚水機小屋から本件監禁小屋を特定するためには相当の土地勘を持ち、周辺の地理に精通していることが必要である。被告人は、昭和四八、九年ころからは月一回位の割合で前記鳴毛たかと密会していたが、本件監禁小屋から約一〇〇メートル離れているだけの小貝川土堤下の鈴木伝男所有地で今まで六、七回は会つており、その帰途、監禁小屋の前を通過したことも二回位はあり、又監禁小屋付近には被告人が耕作している畑や、高橋はつい所有の田畑があり、その百姓仕事も手伝つていた。さらに、身代金要求小屋付近には被告人の自作(三筆)及び小作(一四筆)の農地が八か所存在し、その内一つは同小屋の東方約一〇メートルの所にあり、被告人はそこにねぎ等の野菜を栽培しており、又同小屋は被告人居宅の裏手の距離約一六〇メートル位の所に所在している。

以上のとおりであつて、被告人は本件監禁小屋及び身代金要求小屋周辺の地理に精通していたものである。

6  被告人は、二月二七日午前一〇時半前後ころ、必要もないのに排水工事現場に現われ、身代金要求小屋を見張れる位置にいた事実

前掲青木勇の検面、員面(二通)、鈴木一三(54・3・14)、小倉正、岡田俊之、菊地良幸及び前掲山田久夫(54・3・2)の各員面、前掲54・3・23(一〇枚綴り図面二枚添付)、54・3・18、54・3・27、54・4・3各実況見分調書及び山内不二男の54・3・10捜査報告書によれば、次の事実が認められる。

被告人は二月二六日午前九時ころヒタチ緑化事務所に行き、鈴木社長に対し、二六日、二七日は被告人方で上棟式があるため仕事を休むと断わつていることは前示のとおりである。右排水工事現場では同月二六日にはコンクリート基礎打ちがあつたが、被告人は同日は現場の者には何の連絡もせずに休んでおきながら、翌二七日午前九時半ころ、普段より遅く現場にやつて来て、設計図通り出来ているヒユーム管の基礎の高さが間違つているので下げるようにと文句をいい、ヒユーム管のコンクリートの床を削るのは丸一日かかり費用も増加するのであるから、なぜ前日の基礎打ちのときに来て話してくれなかつたのかと、現場の青木勇ら人夫の反発をかつた。被告人は右工事現場付近や松村組二階事務所に午前一一時前後までいたが、右工事現場から身代金要求小屋までは距離にして約一五〇メートルで、障害物もなく極めて良く見通せる状況であり、又松村組二階事務所から身代金要求小屋までは距離約一三〇メートルであり、二月二七日当時は事務所二階に立つていれば同小屋が良く見通せる状況にあつた。さらに同日午前九時四五分ころから午前一一時二五分ころまでの間に、身代金要求小屋が目の前に見渡せる国道二九四号線を被告人所有の軽四輪自動車が三ないし四往復しているが、その内少なくとも二往復は被告人が運転していたものである。そして、被告人は、同日午後一一時半ころ、さしたる理由もないのに軽四輪車を運転してヒタチ緑化事務所に行く途中、身代金持参指定小屋が南方約五〇メートルの地点に見える、国道二九四号線から常総線踏切に向かう幅員約三メートルの舗装道路を通過している。

7  被告人は本件犯行時吉田亀次郎宅及び菅谷朝一宅に架電可能の状況にあつた事実

(一) 吉田亀次郎宅に架電可能

前掲被告人の54・3・25検面、54・4・6実況見分調書によれば、被告人は吉田亀次郎宅の電話番号を記憶していたこと、監禁小屋から半径約二キロメートル以内の地域には一一個所に一二基の公衆電話が設置されていることが認められ、前示のとおり、被告人は二月二六日午後七時ころから午後八時過ぎころまで誰にも会つておらず、同日午後七時五〇分ころから午後八時二〇分ころまでの間三回にわたつて吉田亀次郎方に架電し得る状況にあつた。

(二) 菅谷朝一宅に架電可能

(1) 前掲菅谷冨士江の第五回公判供述、検面及び員面、菅谷朝一の第六回公判供述及び員面二通、殿田俊三の検面及び員面(二通)、山田久夫の検面及び員面(三通)、青木勇の検面及び員面(二通)、吉田実、高瀬孝(54・3・29、54・3・30)、大久保きみ(54・3・2、54・3・12)、浅野久市(54・3・10、54・3・28)、竹川健一(二通)及び菊地民一(54・3・17)の各員面並びに54・3・27、54・4・3及び54・4・6各実況見分調書、古幡清の54・3・17捜査報告書、前掲防寒ジヤンパー(前同号の三)及び名刺(同号の四)によれば、次の事実が認められる。

菅谷朝一宅に犯人から一回目の電話がかかつてきたのは、二月二七日午前六時半ころであるが、被告人は、同日午前六時半ころ、守谷町大字守谷二〇〇〇番地所在の山田衣料店前公衆電話ボツクスから自宅に電話して高橋はついと話をしている。

又菅谷宅に犯人から二回目の電話がかかつてきたのは午前一一時一六分であり、犯人は、吉田実が現金五〇〇万円を持参した後、「車は来たようだが持つて来ない。」と二回言つて、一方的に電話を切つており、その間一〇秒前後位の短かい時間であつた。被告人は同日午前一一時二〇分前後ころ、緑色つぽい防寒ジヤンパーを着て一人で松村組二階事務所に入つて来て、土工班の机の上にある電話器を無断で使い、同事務所にただ一人居合わせた殿田俊三に背中を向けて、怒つているような声で一方的に用件を言つて、直ぐに電話を切つて事務所から出て行つた。

また、本件捜査官が被告人宅から領置したグリーン色防寒ジヤンパー(前同号の三)を調べたところ、その左胸ポケツトから七枚の名刺が出てきたが、その内の小菅勝好の名刺(同号の四)は、被告人が自宅新築の前に小菅勝好から受取つたもので、被告人は、土地改良区事務所の壁に張つてあつた理事名簿から右名刺の裏に菅谷朝一宅の電話番号を書き写していた。菅谷朝一と被告人は同じ土地改良区の理事だが、個人的にも理事同士としても日頃連絡を取る必要はなく、被告人が菅谷宅に電話してきたのは前年の夏に二回あるのみで、被告人は菅谷宅の電話番号を明確には記憶していなかつた。右防寒ジヤンパーは被告人の所有するもので、日頃から排水工事現場に着用してきていたが、二月二七日午前一一時二〇分前後に松村組二階事務所に現われ、無断で架電した際、被告人は菅谷宅の電話番号を記載した小菅勝好の名刺を胸ポケツトに入れた右緑色防寒ジヤンパーを着用していたものである。

以上の認定によれば、犯人の菅谷朝一方への二回目の架電と被告人の右事務所での架電は、通話時間、話し方、電話の切り方が極めて似ているということができ、また、被告人は、菅谷朝一方の電話番号を暗記していなくとも、右山田衣料店前公衆電話及び松村組事務所の電話を使用して、菅谷朝一方に架電可能であつたということができる。

8  被告人は菅谷朝一につき、その自宅の様子や吉田亀次郎方と親しいことを知つていた事実

前掲菅谷朝一の54・3・14員面、海老原祐三郎の54・3・2員面及び被告人の54・3・22員面によれば、次の事実が認められる。

菅谷朝一は吉田亀次郎の長男実と嫁恵美子の仲人をしたことがあり、又恵美子の弟が菅谷朝一の弟の長女と結婚していることなどから、両家は通常の親戚以上に親しい付き合いをしており、吉田亀次郎及び菅谷朝一と同じ土地改良区の理事をしていた被告人も右両家が縁続きで親しい間柄であることを知つていた。菅谷朝一はこれまで五年間位土地改良区の役員研修旅行には一度も参加したことがなく、二月二六日からの旅行にも体の具合が悪いという理由で参加しなかつたが、同じ土地改良区の理事である被告人も右旅行の通知を受け参加の有無を確かめられているのであるから、右菅谷朝一の旅行不参加を十分知り得る状況にあつた。

そして、上記に判示のとおり、吉田亀次郎の妻たけを誘拐した犯人は、二七日菅谷朝一方に電話して身代金を要求しており、又当初電話に出た菅谷冨士江に対し、菅谷朝一を電話口に出す様要求しており、犯人は、同家と吉田亀次郎方とが親しいことなど菅谷朝一方の様子を知つているものと推認される。

9  本件犯行前後の被告人の言動

(一) 本件犯行前

上記六の1に認定のとおり、被告人は六〇〇万円の新築代金を捻出する目途が立つていないのに、二月二四日午後八時ころ、小菅勝好に電話して、二六日の午前一〇時に支払を延期してきた六〇万円と合わせて六〇〇万円を支払うと約束している。

(二) 本件犯行後

前掲被告人の第一〇、一一回公判供述、菊地民一の54・3・3、54・3・6各員面、高橋はついの検面、54・3・5員面、菊地五郎の検面、員面、石塚文太郎、薄井はるゑ及び麻生重光の各員面によれば次の事実が認められる。

被告人は、二月二六日夜は守谷町大字立沢一九三二の一所在の丸井化工工場敷地内に軽四輪車を乗入れ、冬の寒い晩に車中で一泊し、翌二七日は作業を休むといつていた排水工事現場に姿を現わし、現場までやつて来た民一の勧めにもかかわらず上棟式に出席しようとせず、同日午後八時ころ民一に電話して着換えをわざわざ取手競輪場の駐車場まで持参させて着替えた後、柏駅から上野駅まで電車で行き、上野駅近くの旅館に宿泊している。三月一日には土浦市に行き弁護士を訪ねたが会えず、午後八時ころ電話で民一に自殺を仄かす言葉を述べた。これに驚愕した民一その他の親族が手分けして捜したところ、午後八時四〇分ころ、石塚文太郎、麻生重光が取手駅で被告人と会つたが、被告人は、水海道で民一らに会つたと虚言を述べ、石塚らに家に帰らないことも了解を取つてあるかのように思わせ、石塚、麻生から逃れて自宅に帰らなかつた。さらに翌二日には再び土浦市に行き弁護士と会おうとしたが果さず、その後民一らに自宅に連れ戻されたが、又家を出て松戸市内の妹薄井はるゑ方に泊まつた。

以上認定のとおり被告人の言動には不可解な点が多く、又三月三日には上記五の3に判示のとおり鳴毛たかを訪ねてアリバイ工作をしている。

七  被告人の司法警察員に対する昭和五四年三月一八日の供述の任意性及び信用性

1  供述の態様

被告人は、昭和五四年三月四日逮捕当日の弁解録取において犯行を否認し、翌五日から同月一七日までの取調べに対しても、身上、経歴その他犯行以外の行動については供述するものの、犯行については否認し続けていたが、同月一八日付調書(一二枚綴り)において本件犯行の概略を認めるに至つた。しかし同日夜の取調べでは再び否認した調書が作成され、以後公判廷においても否認し続けている。

2  いわゆる自白調書(昭和五四年三月一八日付、一二枚綴り)の任意性について

弁護人は、右三月四日の逮捕以来、被告人は連日朝八時三〇分ころから夜一二時ころまで取調べを受け、取調官の安克博には同月一五日ころから大きな声で胸倉を掴んだり、頭髪を掴んで揺つたりされ、又同柴田英司からは「何故自殺しなかつたのか。」といわれるなど取調官から強制、暴行、脅迫等違法な取調を受け、被告人は昭和五一年ころからの持病である胃、十二指腸潰瘍が悪化し、咳に血痰が混じるという状態であつたため、このままでは体が持たないし、これから先一体どうなるのか分らないので、何とかして弁護士と会つて話をしたいと考え、三月一八日、「署名すれば弁護士と会わせてやる。」といわれたので、やむなく署名したものであり、右自白調書には任意性がないと、主張する。

証人坂入弘、同安克博の当公判廷における各供述、植竹光一作成の診断書、留置人出入簿謄本によれば、次の事実が認められる。

被告人が逮捕された三月四日から同月一七日までは主に安が取調を担当し、同日から同月二六日までは主に坂入弘が取調を担当した。取調時間は開始時間の最も早いのは同月一三日の午前八時三五分であり、終了時間の最も遅いのは同月一四日の午後一〇時四〇分であり、その間同月一九日及びその前に二回弁護人と接見をしている。当時被告人は胃、十二指腸潰瘍があつたが、同月二七日まで勾留中も主治医だつた植竹光一医師の診療を受けており、完全な健康体ではないにしても、特に取調べに堪えられない程の状態ではなく、取調官も被告人に身体の調子を聞きながら取調べを進めていつた。安は、まず被告人の説明を聞くといつた態度をとり、証拠物を提示することもなく、被告人の供述するままを録取しており、被告人も否認し続けていた。次いで坂入が取調べを担当するようになつてからも、当初被告人は否認していたが、一八日に至り、坂入が、家族のことや事の是非善悪について話しているうちに、被告人は自白するか否か悩んでいる様子を見せ、遂に午前九時半ころから午前一〇時ころにかけ、自己の犯行の概要を認める供述をするようになつたものであり、調書を取つたところ一部訂正を申し立て、申立どおりこれを訂正したところ署名指印したものである。

以上のとおりであり、取調官が被告人の取調べに当り、強制、暴行、脅迫、不当な誘導等による違法な方法を採つたことを疑わしめる事由は存在しない。

従つて、被告人の前記供述は措信できず、右被告人の自白調書は被告人の任意の自白を録取したものと認められるところである。

3  信用性の程度

右自白調書の内容を検討すると、誘拐の日時、場所、その状況、被害者に声をかけた言葉の内容、車の進行経路、その道路の状況、監禁小屋の状況、吉田方及び菅谷方への架電の内容とその相手方等について具体的な供述があり、その内容は、後記鳴毛たかとの密会の点を除いて、客観的事実ないし状況と一致するものである。又右供述中には、本件についての逮捕状及び勾留状記載の被疑事実には現われていない事実も含まれている。

弁護人は、右自白調書のうち、「私は」という主語がなく、末尾に「と思います。」と付加してある部分は、被告人が取調官から伝えられた事実を元に、被告人以外の誰かが犯罪を行なつたとすれば考えられる内容を想像して供述したものであり、客観的な事実に反する虚偽供述も多く、又銃の所持等重要な事項についての供述が欠如しており、さらに鳴毛たかと会つていたとするなど被告人が本件犯行を犯したこととは矛盾する供述があることから、右自白調書には信用性がないと主張する。

前記坂入弘の供述によれば、三月一八日、被告人は自白するか否か悩んでいる様子で、当日も取調当初は否認していたが、やがて犯行の概要を認めるような供述をしたので、調書を録取し出したが、全面自供するかどうか動揺しており、坂入が確認するといくらか否定するような供述もしたりしたこと、坂入は信ぴよう性を確保するため、自分が聞いたことを声に出して話し、これを立会の井坂刑事に記載してもらつたこと、坂入は、一応調書を作成し、細かい点は後で追及しようと思つていたが、同日二度目の調書作成の際は被告人は再び否認するようになつたことが認められる。

被告人が犯行を認めるか否か動揺していたということについては、前掲54・3・17員面において、「本件犯行については、弁護士と良く相談してから話をしたい、被疑者として権利があるので弁護士と相談をしないと事件のことを詳しく言う訳に行かない。」と供述し、又右自白調書において、「警察に捕まりいろいろ反省をしているが一番心配なことは長男民一(二九歳)のことであり、民一は一人者であるのに家の中の切廻しや寝たきりの寅吉(七五歳)の面倒を見なければならないから大変だろうと思う。」と供述していることにも現われている。

以上の認定によれば、右自白調書の犯行供述部分中に、「私は」という主語のない部分や末尾に「思います」と付加訂正している部分が多くみられる点は、被告人の、犯行を全て自白するか否か動揺していた気持の反映であり、自己の犯行について認めはするものの、それまで否認していたことを翻すことへのためらい等が右供述となつたものとみられるのであり、又鳴毛たかと会つていたという、客観的事実と異なる供述を維持しているのも、右のとおり動揺していたことから、それまでアリバイとして主張していた鳴毛たかとの密会を急に撤回することもできず、犯行後に会つていたことにしたものと解される。又「洗い場付近の明るさが夜であつたので暗くてはつきりとは見づらい」、「小屋の入口が廻戸になつている」、「電話に出たのは女の人である」との供述は、弁護人主張のように客観的事実と反するとはいえないし、銃、縛つたひも及びその縛り方、わらの準備についての供述がなされていないこと及び電話の内容についての供述が不正確という点についても、前記のとおり、被告人は動揺しながら、まず犯行の概略を述べたにとどまり、取調官は更に詳細な点まで追及しようと考えていたところ、再び否認してしまつたため、詳細な自白を得られなかつたものであるから、弁護人が右自白調書の信用性を否認し、自白とは評価できないとする主張は、採用することができない。

従つて右自白調書は被告人が自己の犯行について供述したものと評価でき、鳴毛たかと密会していたとの点を除いて信用性が認められる。

4  同意の撤回について

なお、弁護人は、第一〇回公判期日に同意書面として取調のなされた前記自白調書につき、昭和五五年六月一二日に至つて同意の撤回を申立てるが、右調書は既に証拠調済みのものであるのみならず、起訴から約一〇か月余も過ぎ、他の多くの証拠につき細かく同意不同意を述べたのちの第一〇回公判で、立証趣旨欄に「自白」の記載のある調書に同意するにつき錯誤があつたとは到底認められないから、右撤回を許容することはできないものである。

5  被告人の公判廷における供述の非真実性

被告人は、公判廷において一貫して本件犯行を否認する供述をしているが、被告人の公判供述には左記のとおり、客観的事実と矛盾したり、従前の供述を翻したりしている点が多く、その信用性は極めて乏しいといわざるを得ない。

(一) 地下足袋

被告人は第二〇回公判廷において「地下足袋は新品が家にあつたが、犯行当時はいていたことはない。」と供述しているが、上記二2の(四)に認定のとおり、被告人は地下足袋を所有しており、当時農作業をするときはいていたものである。

(二) 鳥打帽子

被告人は、公判廷において、鳥打帽子(前同号の二)の様な帽子はかぶつたことはないと供述するが、二2の(五)に認定のとおり、被告人は右鳥打帽子と同じ形の帽子を所有し、犯行当時これをかぶつていたものであり、被告人自身、検面、員面ではかぶつていたことを認めている。

(三) グリーン色防寒ジヤンパー

被告人は当公判廷において、「グリーン色防寒ジヤンパーは本件犯行当時着ていなかつた、菅谷朝一宅の電話番号をメモした小菅勝好の名刺(同号の四)はジヤンパーに入れていたことはなく、家の中に置いてあつた。」と供述するが、六7の(二)で認定のとおり、被告人は、二月二七日右小菅勝好の名刺を胸ポケツトに入れた緑色防寒ジヤンパーを着用しており、被告人自身検面ではこれを認める供述をしている。

(四) 新築代金六〇〇万円の支払約束

被告人は、公判廷において、「二月二四日午後八時ころ小菅勝好宅に電話して、同月二六日に六〇〇万円を支払うと約束したことはなく、二六日は民一と争いになるといやだから家を出たのであり、大工がお金を取りに来たとき、払えないのは格好が悪いので居なくなつた方が良いだろうという様な気持はなかつた。」と供述するが、六の1に認定のとおり、被告人は、二月二四日午後八時ころ小菅勝好に電話して、同月二六日に六〇〇万円支払うと約束しており、又検面、員面では、「当然建前には居なければならないのでしたが、坂巻に払う金がなかつたので、家に居辛くなり、二六日午前一〇時ころ家を出た。」と供述している。

(五) 四六〇万円の隠し場所

六1の(三)に記載のとおり、被告人は、54・3・5員面では「現金四五〇万円から四六〇万円を家の中の土中に埋めてある。」とし、54・3・25検面では「屋敷の建物の中に隠してある。」と供述していたが、前記麻生まつ子の公判供述後は、「麻生まつ子に四〇〇万円預け、手持が六〇万円あつた。これは寝室の枕元の入れ物に長い間入れていた。」と述べるなど、その供述は変転している。

(六) アリバイ

被告人は、公判廷において、本件犯行時は鳴毛たかと会つていた、と供述するが、右アリバイが存在しないことは五の2に認定のとおりである。

八  その他の弁護人の主張について

1  被告人所有のスズキキヤリイから吉田たけの指紋が検出されず、又同女の毛髪が発見されなかつたことについて

現場指紋等採取報告ならびに送付回答書、54・3・8鑑定嘱託書謄本及び大木博外二名の鑑定書によれば、三月五日、被告人所有のスズキキヤリイから採取できた指紋八個の中に吉田たけの指紋はなく、又同車内に存した五九本の毛髪の中にたけの毛髪はなかつたことが認められる。

しかして、前掲石塚きんの員面及び54・3・10検証調書、郡司典男の54・3・5捜査報告書(二枚目表一一、一二行目を除く。)によれば、石塚きんは、三月一日、被告人所有のスズキキヤリイの運転席及び助手席、ダツシユボード、ミラーガラス、両側のガラスの下のボデイーの部分を拭いたことがあり、又三月四日の検証時には、さらに同車左側助手席のドアの部分の泥やほこりだけがきれいに拭き取られていたことが認められる。

従つて、同車に存した指紋が拭き取られ、毛髪が車外に持ち出されてしまう機会は十分あつたというべきである。又右車両から吉田たけの指紋や毛髪が発見されなかつたからといつて、それが直ちに被告人の本件犯行を否定する根拠となるものでもない。

2  鉄砲の油、繊維屑及び足跡痕の不提出について

弁護人は、捜査段階において取調官安克博は被告人に対し、吉田たけの衣服には被告人所有の散弾銃の油が付着していた、被告人のジヤンパーにはたけの衣服の繊維屑が付着していたと言い、又被害者宅の洗い場付近、裏口付近、監禁小屋付近から採取された足跡痕を示して、被告人を追及したことがあるにもかかわらず、当公判廷にこれらが提出されていないのは、いずれも被告人と被害者ないし本件犯行との結び付きを否定する証拠であるので、隠匿されている疑いがあると主張する。たしかに、被告人の当公判廷における供述中には、弁護人の右主張に沿う部分があり、又前掲証人安克博の当公判定における供述中には「足跡痕について話を聞いたことがある。」、「何種類か採取してあると思う。」という部分がある。

しかし証人安克博は、鉄砲の油が吉田たけの衣服に付着していたことや同衣服の繊維屑が被告人のジヤンパーに付着していたということは聞いたこともなく、もとより被告人に話したことはないし、自分が取調べている間は被告人は否認し続けていたので、もつぱらその言い分を聞くばかりで、証拠物を提示して取調べるには至つておらず、足跡痕についてもタイヤ痕と勘違いしたのかも知れない、と供述しており、これと対比すれば前記被告人の供述は措信しがたく、弁護人の右主張は採用することができない。

3  録音テープの存在について

前記証人安克博の供述中には、三月一七日に被告人の取調を離れたが、その二日位後に捜査本部に保管してあつた録音テープを一回聞いたことがあり、受信側の女の声が主であつたが、犯人の男の声も聞いたとする部分があり、弁護人は、これによつて犯人の声の録音されたテープが存在し、これを提出しないのは、被告人が本件犯人でないことが明らかになるからであると主張する。そして、被告人の当公判廷における供述中にも、被告人は安取調官から、録音テープの犯人の声と被告人の声が似ているといわれたとする部分がある。

しかしながら、証人安克博は、右録音テープの会話の内容は殆んど記憶がない、被害者宅にかかつてきた電話と記憶している、受信側の女性の話の内容から本件事件に関係することが分つた、右録音テープに男の声が入つていたかどうかについては記憶があいまいである、録音テープのことを被告人に話したことはない、とも供述している。

前掲吉田恵美子及び吉田素康の当公判廷における各供述並びにカセツトテープ(前同号の一〇)によれば、吉田恵美子と素康が犯人からの電話を録音したのは二月二六日の最後の三回目の電話についてのみであること、警察官が吉田方に到着したのは右第三回目の電話のあつた後であること、右吉田恵美子らが録音したテープ(同号の一〇)は、恵美子が犯人に応答している声が録音されていること、が認められる。

二月二七日、菅谷朝一宅に犯人からかかつてきた電話を録音したことがあるとする証拠は全く存在しない。

従つて、前記被告人及び証人安の供述部分のみをもつて、安取調官が捜査本部で聞いたとする録音テープが、当公判廷に提出されたカセツトテープ(同号の一〇)とは別個のものであると認めるには不十分である。

4  カセツトテープ(前同号の一〇)の加工もしくは再編集について

弁護人は、本件において、二月二六日夜犯人からかかつてきた電話を吉田方で記録したとされる録音テープ(同号の一〇)は、本来電話のベル音の間隔はベル音が一秒、休止が二秒と決まつているのに、最後のベル音から送受器を取上げるまでの間に四秒の間隔があること、送受器を取上げるガチヤリという音から吉田恵美子の声が出るまでの間隔が全くないこと、会話が終つた後送受器を置く音が入る筈なのに入つていないこと、録音条件からいつて犯人の声が録音されない筈はないこと、民間人が使用済の、性能も十分分らないカセツトテープを捜査機関が使用するとは考えられないことから、右録音テープは元の録音に何らかの加工をしたか編集し直したものであると主張する。

ところで、右録音テープを再生して取調べた結果は、最後のベル音が鳴り終つてから受話器を取上げる音までの間には二秒を超える間隔があり、微かに「もしもし吉田です」という女性の声が聞え、その後はやや大きい声で恵美子の声が録音されているが、犯人とされる男性の声は録音されていない、又受話器を置く様な小さな音がした後、通話の終了した後の信号音が録音されている。

そこで、右録音テープが記録された際の状況をみるに、前掲吉田恵美子及び吉田素康の当公判廷における各供述、吉田恵美子の54・2・27員面並びにカセツトテープ(同号の一〇)によれば、次の事実が認められる。

吉田宅の電話は一階と二階に各一台の電話器があり、同時に通話することが可能である。電話がかかつてくるとベル音は二台の電話器で同時に鳴り、その内一台の送受器を取上げると、他方の電話器のベル音も止まるようになつている。二月二六日、犯人から二回目の電話があつた後、吉田恵美子は電話の声を録音することを思い付き、長男の素康と打ち合せ、素康が二階の電話器に録音の用意をした。同日午後八時一五分ころ犯人から三回目の電話がかかつてきたとき、恵美子が素康に合図を送りながら一階の送受器を取上げてから、素康が二階の送受器を取上げており、この音が録音されている。録音は、電話器に特殊な録音装置を施したわけではなく、ナシヨナルFM・AMラジオカセツトレコーダーの内蔵コンデンサーマイクロフオンを送受器に二、三センチメートルまで近づけて行なつた。犯人の声は非常に低く、応答した恵美子にも聞きとりにくい声であつた。一階の電話のベル音及び恵美子の声は、二階の電話器で聞こえると同時に吹き抜けの階段を通じて生の声も二階まで届くようになつている。警察官は右犯人からの三回目の電話が終つた後吉田宅に来た。吉田恵美子は警察官が来てから共に右録音テープを再生して聞いてみたが、犯人の声が入つていなかつたのでがつかりし、その後警察官に右録音テープを任意提出した際、「犯人の声が入つてなくてもよろしいんですか。」と聞いている。吉田恵美子及び素康は、いずれも当公判廷で右録音テープを聞かされたが、これを聞いた結果の右各証人の供述によつても、右テープの内容は二月二六日の録音当時と異ならないこと、又右テープに工作を加えたことのないことが充分に認められる。

以上の認定によれば、録音されたベル音が一階の送受器を取上げた時点で止まつており、二階の送受器を取上げるまでに二秒以上の間隔があつても不思議ではないし、恵美子は既に一階の送受器を取上げて犯人と会話しており、階段を通じて恵美子の肉声が微かに録音されており、その後取上げた二階の送受器を通じて恵美子の声が明瞭に録音されていること、犯人の声は送受器を耳に近づいていた恵美子にも聞きとりにくい程であつたので、犯人の声が内蔵マイクロフオンを送受器から二、三センチメートル離した程度のカセツトテープレコーダーでは録音できなかつたと考えられる。又警察官は、犯人の三回目の電話があつた後に吉田方に到着しており、吉田恵美子から右録音テープを提出され、緊急時であつたので以後それを使用したものと解され、警察が民間人の使用済のカセツトテープを捜査に使用する筈がないとの主張は当を得ない。

従つて、弁護人が、右録音テープに加工等が加えられたとする根拠はいずれも失当であつて、弁護人の右主張は採用することができない。

九  結論

以上認定の各事実を総合すれば、被告人が本件犯行の犯人であることは証明十分であつて、本件犯行を否認する被告人の供述は、証拠と矛盾する不合理な点が多く、その余の弁護人の各主張も判示認定を左右するに足るものではない。

(法令の適用)

被告人の判示第一及び第三の所為は包括して刑法二二五条の二に、判示第二の所為は同法二二〇条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一及び第三の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一及び第三の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条により未決勾留日数中三五〇日を右刑に算入し、押収してある散弾銃一丁(前同号の九)は、判示身代金目的拐取の用に供したもので、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、資金調達の目途も立たないのに自宅の新築に着手して、その支払に窮した被告人が、同資金に当てるため身代金を交付させる目的で、地元では有数の資産家の妻である七〇歳の老女を誘拐したうえ、自動車で連れ去り、人気のない畑の中の小屋に一夜監禁したうえ、身代金を家族らに要求したという事案であつて、拐取の方法や身代金を取得するための方策を周到に計画したうえ、日頃から世話になつていた土地改良区の理事長の妻をねらつてなされた計画的且つ卑劣な犯行であり、夜間に銃をつきつけられて突然外に連れ出され、寒期に手を縛られたまま小屋に一晩監禁された被拐取者の心身の苦痛及び翌日被拐取者が自力で帰宅するまでの間の長時間家族らの受けた憂慮は筆舌に尽し難く、特に長男の嫁は、主人らの留守中老母の所在不明につづく脅迫電話を受け、本件による心労のため事件後腎臓を摘出せざるを得なくなつたほどであり、又のどかな農村地帯である周辺地域に与えた不安と衝撃はまことに大きいというべきであり、そのような重大犯罪を敢行しながら被告人は本件犯行を全面的に否認し、反省改悟の態度は些かも認められない。しかも、この種事犯は、しばしば被拐取者の殺害という悲惨な結果を招くことが多く、又模倣性、伝播性を有するのであつて、一般予防の見地からも危険であり、被告人の刑責は極めて重大というべきである。尤も、本件においては被害者がともかくも無事自宅に戻つており、又被告人は金員入手の目的を果たしていないこと、その他ここ二〇年間ばかり前科がなく、一応大過のない生活を送つてきたこと等被告人に有利な事情もあるので、これらの点をも参酌したうえ、被告人を主文のとおりの刑に処するのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

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